03.08ゴウの「そして僕はジャズを聴かなくなった」通信
職業倫理って大切です。
コンチハ、ゴウです。
ヴェーバーって人は大学人のクセに知性(大学人の倫理)のないヤツが
許せなかったらしいですが、外務省には
そういうヤツはいないのか?って疑問は野暮質ですね。
そもそも外務省って情報の収集と分析がほとんどの
役所のハズなんだけどそれできるのが佐藤しかいないような
口調でいわれるとその他の職員は何してるんだって
恫喝する前に殴りたくなってくる。理由もなくね。
ということで職業倫理です。
世の職業で虚言が公的に許される倫理があるモノは政治家か?
それは当たってるように聞こえるが少し違って
虚言の空間で仕事することを許されているだけで
自分でウソというかデタラメ言うのはいかがなモノかと思うよね。
まー今回チラッと東京にいったらいたるところから
ムネオと同郷のGOさんです、みたいな紹介のされかた
するもんだから最後の方では自分がホントにムネオかも
とか思うほどだった。確かにオレは恫喝の仕方や
仕草がムネオに似て無くもないが顔が坂田には似てない。
そもそもオレは職業倫理に厳しい。
アナキストのクセに社会的なモノへの自分がなせる還元と
か常に考えてるし、非社会的なヤツ見ると怒らずにいられない。
つまり市民としての倫理にこだわっている。
まーこういういかにもムネオには職業倫理がないみたいな
こというと政治家の職業倫理とは公共工事を地元に持ってくる
ことだからアイツは倫理に溢れてるとかいう言説も
出てきそうだがそれは当たり前のように間違い。
国家予算を食い物にするのは倫理かってきかれたら
困るだろうよ。コマコマ言う気はないがムネオは凡庸過ぎる。
倫理なんてターム使わずにルールでもいいけど
共同体のルールに対する責任がないのが多すぎる。
別にそれは「善」に通じることじゃないといけないモノでは
ないし、共同体の法を厳守せよってことでもない。
ただあまりに「責任」ということが不明確。
問題の一つはサー非社会的なことと脱社会的なことって
のもあると思うよな。前者はオレが最もイヤなもので
単なる欲望欠如による才能欠損症のような人種に多い。
自己責任の認識が足りなかったりジーオーなんとかに
騙されたり、とにかくイタイやつら。
後者はヒッピーね。不断的決死の脱構築ダイヴを
くり返す人たち。こいつらはエグイ。
ヒッピーの中でもホントに「脱」というか第三の眼差し
を手に入れた人なんてわずかかもしれないけど
それでも現代においてホントの「脱」社会ってことが
まったく言われない。80年代っぽいからか?
そんな流行廃りで思想を語るヤツはその資格はない。
共同体の根本基盤やそれを承認するのかっていう
人間が生活する上での根源的な問いの一つを考えるくらい
の思考の深さが必要だよな。
まー今までのコミューンなどの歴史見ても
市民一人一人がそういう視点で生きられると暮らしにくい
社会になることが多いのは確かなんですが
そういう問題も含めて哲学的な仕事の重さを感じるわけ。
物事の考え方の根本は自分の存在とか権力とか
他者と自分とか共同体との関係性にあるわけで
認識のシステムとかもその中に含まれてるとか
思うけど、そういうことを考えていこうでないの。
「脱」していくエネルギーはそれ自体で議論すると
インチキ臭いけど哲学では常にそういう方向にベクトルが
向いているんです。オレが勉強でなくて学問だ知だって
いうのもここにある。
もっと高次元の思考と厚みのある概念の復興は
まさに「脱」の中心なんですね。
話変わってオレのとこの掲示板が吹っ飛んだらしいけど
しばらく掲示板はお休みします。あしからず。